12 ZEN
ハイハットが目の前の時刻を刻む。ピアノの旋律が心の奥へ奥へと誘う。途中、差し込まれたSEが、宙へ空へ僕の意識を誘う。虫の音。ピピピピ‥‥‥。
なんでもそうだ。最初は、無。すべては無というものの存在から有が生まれ出しているということだ。宇宙だって無から生まれた。そして、有という地球が生まれて、人間が生まれた。こういうことを言ってしまうと、まるで科学論者か宗教信者のように思われてしまいがちだが、僕はそうではない。でも、前曲の『sui』を聴いた後に感じることは、この世に音楽がない世界など存在しないということだ。全くの無音状態になることはない。死を迎える間では。いつでもどこでもなにかが有る。生きている限りは。でもみんなそれに気付いていないとうことだ。みんな、いつでもどこでもなにかが有る状態で、日常を過ごしている。しかし、無は常に僕らの傍らに寄り添っている。それは、死かも知れない。なにかはわからない。でも、すべては無から始まると考えるとするならば、今目の前に広がる有るものの根源を知ることができるし、また、今無いものの存在を抱き締めることも可能であるということだ。
しかし、無を抱き締めることは容易では無い。だから故に有があるということ。そして無の存在を噛み締める。それが相互性。その相互性は闇と光りの相互性と同意。すべてはこの手の中に有ると言えるのも、目の前に広がる世界に何も無かったから言えたということ。無の世界という孤独な幼少時代を過ごした中村一義が、『金字塔』という今まであり得なかった有を生み出したのもそういうことだ。ひとりぼっちのア−ティスト中村一義が、100式という有を生み出したのもそういうことだ。最初に、無、ありき。
無と有。僕らの存在意義を証明するために辿り着く、果てしなくも儚く辿り着くことの出来ない結論。言語や思考では到底たどり着けない。あ〜わからないわからない、わからないものはわからない、だからこそわかりたいけれどわからない‥‥。ぐるぐるぐるぐるぐるぐる回れ回れ回れ。戯れろ。
そして、動きだそう。思考の扉を開けて‥‥。