16 ひとつだけ

 「ワン・トゥ・ワン」‥‥‥。この気持ちが大切で素晴らしいことだと気付いたから、「ソウル・トゥ・ソウル」‥‥。この気持ちだけが信じられるものだと理解出来たから、中村一義は『新世界』などという無鉄砲な花火を打ち上げることが出来た。100式という永遠ではない共同体をも引き連れて歩もうと思ったのだ。全世界中の万人に理解してもらえなくてもいい。ただ、僕の目の前にいる、手を取り合える距離にいる人達に本質が届けばいい。僕の心が届けばいい。魂が触れ合えればいい。僕の光り輝く星がキミに届き、そして、その輝きを忘れずにいてくれればいい。そして、その光が、また見知らぬ人へ届けばいい。もうそれだけ。この『ひとつだけ』の歌詞やメロディーにとやかく僕の言葉を挟み込む必要はないのかも知れない‥‥。

 でも、ちょっといいかな?

 大切なこと、言わせてもらっていい?

 うん、ちょっと、珈琲でも飲みながら考えてみて。ポップ・ミュージックというものはさ、アーティスト個人の作品が計り知れないほどの万人の心に訴えかける魔法を持っているんだよね。それは、素晴らしきことでもあるんだけど、忌わしきことでもあるんだ。音楽というものを介して、莫大な資本が動く。ムーブメントやらも発生する。社会現象にもなる。でもそれは、本来、音楽が求めていた場所なのであろうか? なぜ故にアーティストは音楽を生み出し続けているのだろうか? 金銭欲か? 独占欲か? 崇められたいからか? 違う、違う、違う!! 音楽とは、ただ単純に楽しむものだよ。アーティストはその楽しさを僕らに与えてくれる存在なんだ。そして、僕らがいるからこそアーティストは音楽を創りだす喜びを感じることができるんだ。根本はこれだよ。その磁場が広がろうが、狭まろうが関係ないんだ。その村の大小に対して音楽の価値を計り知るモノサシなどないよ。でもさ、もし音楽の価値を計るモノサシ以外のものがあると考えるのならば、それは、僕らの心だ。どれだけ僕らの心に音楽が響いて来るか否か、ただそれだけだ。でも、心というものは目に見えないものだ。だからやっかいなんだけど、しかし、音楽を楽しむ場所というものは心なんだよ。しかないんだよ。思考でも身体でもない。心なんだ。目には見えない心なんだ。そこで通じ合うんだ。それ以外になにがあるというのか? 音色か? 音の配置か? グルーブか? キックの重さか? ギターの鳴りか? 違う、違う、違う!! それは、二次的な問題に過ぎないんだ。どんなジャンルの音楽だって、まずはその楽曲に込められた心が僕の心に伝わって来るか否かなのだ。アーティストがどれだけの心を込めて創ったか否かということなのだ。それを僕らが心で受け取るのだ。それ以外の理由なんてないと断言する。故に、今現在のあらゆるポップ・ミュージックの世界には矛盾が蔓延っている。そう、心が無いからだ。心ありきの音楽から、心が失われつつある。それは、アーティストが心を込めて僕らに届けようとしても、その僕らの存在が見えないからだ。広がり過ぎている。薄められ過ぎている。届くべき相手に届かずにいる音楽が無数にある。それは、僕ら、リスナーにとってもそうだ。なにが心ある音楽か理解し難くなっている。心無い音楽が無数に蔓延っているから、心ある音楽がどこに存在しているのか判断しにくくなっている。
 だから、ワン・トゥ・ワン、そして、ソウル・トゥ・ソウル、なんだよ。万人に!とか、みんなに届け!たくさんの人が聴いてくれ!なんていう欲は、中村一義の中には今は一切無縁の存在になっている。
「僕、こういう風に思っていてさ、こういう音楽を創ってみたんだけどどう思う?」
「うん!最高だよ!僕も、共感できるよ!ありがとう!素晴らしい楽しい音楽を創り出してくれて!」
「いや、そういってくれて僕も嬉しいよ!これからも楽しく音楽を創りだして行くよ!」
 これだと思う。これだけだと思う。すげー、阿呆臭いかも知れないが、すげー、単純で幼稚なことかも知れないが、この関係性が重要だと思う。これが音楽のあるべき姿だと思う。ここには、目に見えるカタチは存在していない。ただあるのは、音楽というものと、お互いの心と、魂。ただそれだけ。そして、僕らすべてを包み込む、愛、という存在、その、ひとつだけ‥‥‥。

 

 

 もしかしたら、ここから新たなポップ・ミュージックの歴史が塗り替えられるのかも知れない。いや、塗り替えられるというか、音楽が本来あるべき場所へ戻って行くのかも知れない。それは、決して退行じゃ無い。そして、当たり前のように進化という大袈裟なものでもない。『博愛博』という、端からみたら閉鎖的なツアーさえも、本来あるべき音楽の姿を見つめ直すきっかけになったのではないかと思う。そして、この、『100s』というアルバムに込められた、ストレートであからさまな歌詞やヴァイブにしてもそうだ。今まで何度も何度も使い古された言葉さえも刻まれている。そして、敢えて過去に彩られた名曲達の欠片をもそこかしこにばらまいている。心ある音楽のそれまでをも注入して表現している。そこまで振り切って、本当の音楽を本当に伝えるべく創り上げられたアルバムがこの『100s』だ。だからこそ、このアルバムの中には、僕らが本来持つべく、いや、持っているべく光り溢れる心が、愛が、詰め込まれているのだ。

 前作『ERA』が時代を刻印したアルバムだとするならば、この『100s』は、音楽という素晴らしき目に見えない僕らのソウルを繋ぎ止めるものを信じ、心、光、愛という不変で普遍の真実を糧にして、過去&現在&未来の時代を歩き続けようとする、僕らのロード・ムービーのサウンド・トラックだ。
 そう、すべては、音楽を楽しむため。そして、笑顔への橋となるため。僕ら一人一人が光り輝きながら生きとして生ける為の、みんなの唄だ。

 オーライエー!!!!!!!!!!!!
 

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