10 スノーキング

 『ERA』の『ゲルニカ』に続く、エポック・メイキング的な曲、『スノーキング』。中村一義が、シャガールの「ヴィテブスクの上で」という作品を目の当たりにして、創作意欲を掻き立てられたというところで、『ゲルニカ』に通じる作品だ。
 「ヴィテブスクの上に」という絵は、不思議な絵だ。ピカソの「ゲルニカ」ほど歴史的背景がリアリスティックに僕らに突き刺ささってくるものではない。ただ、ただ、不思議な絵である。冬の街を真っ黒な巨人が、サンタクロースよろしく、大きな袋を肩に抱え、空を飛んでいる。そういう絵だ。見ようによってはちょっと空恐ろしい絵だ。情景を掴み取ることはできるのだが、その巨人の顔は見えない。そう、その絵は何かを僕らに訴えるような絵ではなく、その絵に込められたすべての情景が一瞬のうちに目の前から消え去ってしまうような感覚を受けるのだ。雪が溶け、闇を背負い込んだ巨人も飛び立ってしまう。見知らぬ巨人‥‥。その後に残るものは全く知れない。そういうような感じだ。でも、なぜか僕の心に感情としてインプットされてしまう。だから、中村一義の口からこのような言葉が出てきたのであろう。”そう、憶えて‥‥あぁ、忘れる‥‥。だからさぁ、見てたもの、あなたに話すよ”。瞬間の想い。それを切り取る。記す。今までの‥‥。
 この唄には、彼が今まで生きて来た道中で見てきたもの、感じてきたものの様々な断片が記されている。脈略があるようでないような言葉の羅列で記されている。そして唄われる。そして、その儚くて、憶えていても忘れてしまいそうな瞬間の憶いを、”キス”として、”宝”として、僕らに届ける。それも、届くかどうかわからないようなまさしく綱渡りのような状況の中で届ける。だから、僕らも受け止めることができるのかわからない。僕の愛すべき大切なアナタに”キス”を”宝”を届けることができるのかさえもわからない。でも、その瞬間、この『スノーキング』を聴いたときに、瞬間でもいいから沸き起こった感情が僕らの心に記されればいい。ぎこちないワルツに乗せて、彼がばらまいた言葉の断片のひとかけらでもいいから、僕らが拾うことができればいい。押し付けがましくなく、魂を強奪されるでもない、穏やかなメロディーに身を委ね、感じればいい。瞬間に、様々な情景を、心情を、憶えてくれればいい。忘れてしまってもいい‥‥。それぐらい、時に音楽は無力だ。人間は忘れる生き物だ。それでも、中村一義は唄い続ける。そして、僕らは聴き続ける。だから、彼は、この曲の最後にこう僕らに唄いかける。”それでも愛しいんだ。ただね、もう、それだけ”
 そして、メジャー・コードでこの曲は終わるのだ。そういうことだ。

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